※この記事は制作時の情報をもとに作成しています。
皆さま、こんにちは。
トレンドマイクロ ワークショップ運営事務局です。
トレンドマイクロでは、子どもたちや保護者の方に、“安全なICT活用”につながるイベントや情報をお届けしています。
今回は、「デジタルセカイの歩き方」について、デジタル教育のエキスパートにインタビューさせていただきましてので、ご紹介させていただきます。
NPO法人CANVAS 理事長
石戸 奈々子
東京大学工学部卒業後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ客員研究員を経て、2002年CANVAS設立。これまでに開催したワークショップは 3000回、約50万人の子どもたちが参加。アナログなツールから最先端のデジタル技術を駆使し、子どもたちのクリエイティビティ(創造力)やコミュニケーション力を育むということを大切にして活動している。ワークショップではステップバイステップで自分のやりたいことを実現するための場所、技術、ノウハウ、ツールを提供している。対象は4歳~小学生まで。
株式会社LITALICO
ワークショップデザイナー
元木 一喜
高校情報科教員等を経て、2014 年TEDx「ワークショップデザイナーが毎日をワクワク・ドキドキするために実践している3 つのこと」に登壇。2015 年にLITALICO に入社、現在はLITALICO ワンダー事業部ディレクター。ワークショップでは年長~高校生までを対象に、プログラミングやロボット、デジタルファブリケーションといったテクノロジーを活用したものづくりの機会を提供。基本的に一過性で終わらず、子どもたちの創造力を拡げるもの、コミュニティなどがあるソフトを極力使用している。
本当はオトナこそ知りたい!「デジタルセカイの歩き方」
すでに「デジタルセカイ」を歩きはじめている子どもたち。
でも、その歩む速度や行先は子どもひとり一人違っています。
そんな我が子を見守る保護者には、期待と不安、さまざまな想いがあるはずです。
今回、デジタル教育のエキスパートであるお二人に、保護者にとっての「デジタルセカイの歩き方」についてお話しいただきました。
デジタルセカイで起きるトラブルってどんなこと?
――― 今日は日頃、デジタルセカイに対して不安や疑問を感じている保護者の方々に、少しでもモヤモヤを解消していただくために、子どもたちの教育、とくにデジタル教育に携わっていらっしゃるお二人にお話しいただきたいと思います。
お二人はワークショップなどで子どもたちがデジタルを学ぶ場を提供されていますが、子ども同士がかかわっていく中で、トラブルが発生することはないのでしょうか?
石戸: ワークショップでは4、5人が共同で一つの作品づくりに取り組んでいるので、当然、子ども同士の意見の相違などは日々あって、意見を一つにまとめて作品にしていくという経験をします。
その過程で実は自分はこれが得意だったとか、不得意なものは逆に気をつければできるんだとか…自分自身の個性を見出していくものです。
ときに喧嘩もあれば仲直りもあり、ミニドラマを経験する中で学びや成長があるので、基本的にはそれを“トラブル”といえるのか…? 共同で作るなかでの“葛藤”はありますが。
元木: 僕も個人的にはワークショップの中で“トラブル”というものはないと思っています。
学校と比較してみると、個人が本当にやってみたいことにかかわっているからかなと。
例えば、基本的に一人で没頭してなにかモノを作るんだけども、それが繋がっていくと一つの作品になっていく。
ドミノ倒しみたいに繋がった瞬間ってすごく楽しいけれど、もちろんそこで倒しちゃったら「なんで倒したの?」みたいなこともあります。
そこはなにかを創るという行為とみんなでなにか一つのことを達成しようって感じているところがあるので、それがトラブルか? と言われたら違うかなと。
石戸: そう。それをトラブルと言って欲しくないよね。
普通に大人でもよくある話じゃないですか。それがときに強い口調で言い合っちゃうこともあるので、トラブルに聞こえるかもしれないけれど、子どもたちがやりたいことをより良くするための中での意見のぶつかり合いなので。
そういうのは大人だったらトラブルとは言わないですね。
――― そうですね。トラブルって大人が想像している心配事ですよね。
むしろ子どもたちが外の世界とかかわることで注意すべきことという感じでしょうか?
石戸: 私たちのワークショップの中で、地域の情報をブログやポッドキャスト、新聞などのマルチメディアで発信・紹介する「キッズ地域情報発信局」というのがあります。
その目的の一つ目は、ただコンテンツを消費するのではなく“自ら情報やコンテンツの創り手”になってもらいたいということ。
二つ目は、今回のテーマでもある“ありとあらゆるリテラシーを経験に基づいて学ぶ”ことです。
例えば、ポッドキャストでラジオをやるときに、好きなアイドルの音楽を勝手に使ってはダメですが、それはなぜか? という話は当然出てきます。
また、取材協力していただいた方の顔写真を撮って勝手にブログにアップするのはいいんだっけ?…という話になるわけです。
それから記事の中身の話。ある子どもがお店に取材に行って「臭かった」と書いたんですね。それは事実かもしれないけど、せっかく取材に協力してくれた方が、これを読んだときにどんな気持ちになるかな? これを見る相手の気持ちを考えた表現というのがあるよね? と。
それらはトラブルではなく、当然守らなくてはならない倫理なので、実際の体験の中で学んでいきましょう、という。
三つ目の目的は、“安全安心なまちづくりをICT(情報通信技術)を使って実現したい”。
こういうと、GPSをつけて監視するなどといった方向に行きがちなんだけれど、せっかくいろいろな人と繋がるツールを使うのであれば、ICTを使うことで地域の繋がりをもう1回構築しなおして、地域の方々によるお互いの見守りの中で、安全安心なまちづくりにつなげていくこと。
子どもたちが作った新聞をカフェに置いてくれた、映像を流してくれたことがあり、その結果、子どもたちが地域の人に「おはよう」と声をかけてもらうようになったんです。
私たちはICTなどを有効活用することによって、個人が自分自身の可能性を無限に拡張できます。
だからこそ、利活用を促進したいというのが私たちの立場ですが、当然使うにあたって守らなければならないルールやモラルというのもある。それは体験の中で実感を伴って知っていきましょう、というスタンスなんです。
何かを創り出すときに出会う「権利」の問題
――― 私たちのワークショップでも著作権を守らないといけない理由はわからないけど、「それはだめなんだよ」って言える子はいるし、単純に他の人の作品を使うのはダメというのを考えている子どもは多いです。
でも、それがなぜなのか? をどう伝えるかが悩みどころではありますね。
元木: 何も始めないうちから一方的にダメということは可能性も潰してしまうと思いますね。
以前、ゲームを作れるソフトを使って、夏休みの自由研究に出したいという子がいて、日本地図の上を横断して行くストーリーで作ったんです。
それが学校の先生にすごく褒められて、次の総合的な学習の時間でもそれで作って出したらいいと言われたそうです。
そこで今度は自分たちの地域に関連することを発表するというテーマで、一か月半で作ろうとしたんですね。ほとんど寝ないで街をモデリングして作って。
そこまでやってみると、今度は世の中の人は(こういう街のモデリングとか)どうやっているのかな? とネットで調べるんです。
そしたら、すでに海外のユーザーの人が作っていて、データを数万ドルとかで売っているみたいだから、「じゃあ僕もこれは販売できるかもね」ってその子が言ったんですよ。
それがすごいなと。誰かが同じようなものを作って売っている。もしかしたらそれをコピーすることもできるかもしれないけど、それをわかった上で自分が作って提供する側になれると感じられたのだと思うと、あえて著作権の話をしなくてもいいのかなと。
もしかしたら、その世界が広がって彼が将来、映画監督になれるかもしれないし…。
保護者からすれば不安の方が大きいと思いますが、一度自分で作ったものがあればそれを介して話をすることで体験的にリテラシーを理解できるようになる。
コロナ禍で生活の多くがオンラインになってから子どもたちとインターネットとの向き合い方はとても早く進化していると感じています。
いつの世でも同じ?! 保護者が抱く心配事
――― 子どもたちがオンラインに近づいてそれに順応していっている姿を横で見ている保護者から、実際に不安に思っている声を聞かれることもあるのではないでしょうか?
元木: もともと「子どもがなにをしているんだろう?」とか「ずっとネット使っていて大丈夫なのか?」「なんか喋りながらゲームしているんだけど…」とかそういう不安な声はちょっと前からあがっていましたが、今もその不安は継続して発生しているんですよね。
ただ、オンライン上でなにかするってことが、大人の世界で当たり前になったのと同様に、子どもたちの世界でも当たり前になっているというのは事実であると。
そこはコロナ禍において変わったんじゃないですかね。
保護者がオンラインで話している隣で子どもたちも同じように喋っている、ということが当たり前になったのはすごくいい変化で、教育分野においてもいいことなんじゃないかなと思います。
石戸: どんなメディアも出始めは、とくに子ども関係には反発が起きるんですよ。
テレビが出てきたときには、もっと本を読むべきだなど言われていたわけです。
それが今では、視聴覚教育という分野は知能も発達するので、学校でも学びの動機付けとしてテレビを見るわけですよ。
ゲームも同じで、現在では、ゲーム要素を学びに取り入れて楽しみながら学ぶこともしている。
携帯が普及してきたとき、子どもたちが携帯を持つことに対してすごく反対されて、それを規制してしまえという声があがりました。
だけど、「一人一台パソコンを持って学ぶ環境を作る」というデジタルランドセル構想を掲げた。
それまでは子どもに携帯を持たせるなんて百害あって一利なしって言われていたけれど、それを180度転換する方向に向かったわけです。
とはいえ、これまでの成功体験が大きすぎて、なんでデジタルを入れないといけないのか? という気持ちがすごく大きかった。
それに対して新型コロナという外圧がきて、「あれ? これは導入しないとダメでは?」ということになった。
とくに、教育の分野に関していうと、社会全般、世界と比較してずいぶんと日本の学校は遅れをとっているのではないかということや、デジタルを使うことでより豊かなライフスタイルを構築することができると気がついた。
当然、子どもの世界もそうなるということは必然だったのかなと思います。
大人も子どもと一緒に学び、何より使い方をきちんと築いていくってことが大事なんじゃないかなと思っています。
――― もう、これからの世の中は生活の中でデジタルを使いこなさなくてはならないし、子どもは…とか言っている場合ではなくて、大人も一緒に学ばないといけないですね。
石戸: どんなツールもメリットデメリットがあって、包丁だって料理に使えば便利だけど変な使い方をすれば害になってしまうじゃないですか?
だから、全部が全部メリットしかありません、というつもりもないです。
けれど“百害一利”から、“百利一害”となるような使い方を提供できるかが大人の責務だと思っています。
その害=デメリットを減らすというやり方の一つは「規制」です。
すごく簡単なやり方で、規制してしまえば子どもたちがトラブルに会わないから。
だけど、今の子どもたちはネットにつながった何らかのデバイスをすでに持っているわけで、それがない生活はもう考えられない。
規制しといて、ある日突然、荒波にポンって投げ出すのはすごく無責任な行為だと思うんです。
次にできることは、「技術」で解決すること。それは有効だと思うし、自分自身もそうしてきました。
でも、技術って常にイタチごっこで、なにかが出ればなにかが出てくる。
フィルタリングなどの技術も子どもたちの成熟度合いによって適切に入れるべきだと思っています。
だけど、それだけでは万能ではない。たとえどんなに時間かかっても教育で解決すべきではないかと思います。
保護者や先生などの大人が関わった上で、“百利一害”になる使い方を一緒に学んでいく、子どもにちゃんと伝えていく、というのが大人の責務だと思います。
以降は、下記に続きます。